【偉人賢人録】Tesla、宇宙、そしてXの買収 イーロン・マスク波乱万丈の生涯

幼少期と家族背景

イーロン・マスクは1971年6月28日、南アフリカのプレトリアで生まれた。父エロール・マスクは南アフリカ人のエンジニア、母メイ・マスクはカナダ出身のモデル兼栄養士である。両親は1979年に離婚し、9歳のイーロンは弟のキンバルとともに父親と暮らす道を選んだ。しかし後年、イーロンはこの選択を「間違いだった」と振り返っている。父エロールとの関係は次第に険悪になり、イーロンは父を「ひどい人間だ」と公言するようになった。

「彼は本当にひどい人間だった。君には想像もつかないだろう…父は綿密に邪悪な計画を立てる人だ」

これは2017年、イーロンが雑誌インタビューで実父について語った衝撃的な言葉である。父エロールは家庭内で感情的に虐待的だったとされ、イーロンは「幸せな子供時代ではなかった。それは悲惨だった」とも述懐している。一方、母メイは明るく社交的な性格で、離婚後も子供たちを懸命に支えた。イーロンは幼少より読書好きで、SFやテクノロジーの書物に没頭した。わずか12歳でプログラミングを習得し、自作のビデオゲーム「Blastar」を雑誌に売って500ドルを得た逸話は有名だ。学校では内向的な少年だったが、その才能は早くから輝きを見せていた。

しかし学校生活は順風満帆ではない。南アフリカの男子校でイーロンは酷いいじめに遭い、階段から突き落とされ入院したこともあった。彼はサバイバル合宿「ヴェルドスクール(野外学校)」に参加させられ、そこでの荒々しい体験も心に傷を残したと言われる。こうした幼少期の苦難が、後のマスクの不屈の精神とリスクを恐れぬ性格を形作ったと指摘する声もある。実際、伝記作家ウォルター・アイザックソンは「少年時代に痛みに耐える術を学んだことが、マスクの大胆な挑戦志向につながった」と分析している。

南アフリカから北米へ: 青年期の旅立ち

イーロンは17歳で母の出身国であるカナダへ移住し、新天地での活路を模索した。プレトリアの高校を卒業した彼は、1989年に単身でカナダに渡り、オンタリオ州のクイーンズ大学に入学する。これには、当時アパルトヘイト下の南アフリカで義務づけられていた兵役を忌避する意図もあった。カナダ国籍を持つ母のおかげで移住は比較的スムーズに進み、異国の地でイーロンは自由な発想を育んでいく。

1992年、イーロンはカナダからアメリカ合衆国へ渡った。名門ペンシルベニア大学に編入し、経済学と物理学の2分野で学士号を取得する。在学中から事業アイデアを温めていたマスクは、「アメリカこそが大きな夢を実現できる国だ」と信じていたという。1995年、スタンフォード大学の博士課程(物理学・材料科学)に進学するためシリコンバレーに移り住むが、彼の運命はわずか2日で方向転換する。インターネット黎明期の波を目の当たりにし、「いても立ってもいられなかった」マスクは博士課程を中退し、起業の道へと突き進んだ。

起業家への道:Zip2とPayPalでの成功

シリコンバレーに飛び込んだイーロン・マスクは、弟のキンバルとともに「Zip2(ジップツー)」を1995年に創業する。当時インターネット上でまだ十分整備されていなかった都市情報ガイドに着目し、オンライン地図付きの電話帳サービスを新聞社向けに提供した。マスク兄弟は安アパートに寝泊まりしながら開発に没頭し、時にはオフィスで寝袋生活を送るほどの情熱を注いだ。地道な営業の末、Zip2はニューヨーク・タイムズなど大手新聞社との契約を獲得し、急成長を遂げる。

やがてこの新興企業に目を付けたのがコンピュータメーカーのコンパック社だった。1999年、コンパックはZip2を約3億ドル(日本円で数百億円)で買収し、当時27歳のイーロンは自身の持ち株売却でおよそ2200万ドルもの巨額資金を手にした。わずか数年で「シリコンバレーの若き億万長者」となったマスクだが、その成功に慢心することはなかった。得た資金をただ貯め込む代わりに、すぐさま次なるプロジェクトに大胆に再投資したのである。

マスクが次に目を付けたのは、当時まだ黎明期にあったオンライン金融サービスだった。1999年、彼はオンライン銀行のスタートアップX.comを立ち上げ、送金や決済をインターネットで完結させるビジョンを描いた。同時期にピーター・ティールらが創業していた競合企業Confinity(コンフィニティ)と激しく争うも、2000年に両社は統合し「PayPal(ペイパル)」が誕生する。統合後、マスクは新会社のCEOに就任したが、社内ではサービス戦略やシステムを巡って対立が生じた。マスクは大胆にも当時の主流でなかった技術スタックへの移行を主張したため幹部の反発を招き、2000年末にはCEO職を解任されてしまう。

トップの座からは退いたものの、依然としてPayPal社の大株主であったマスクに再び幸運が訪れる。サービスは順調に成長し、2002年にオークションサイト大手のeBayがPayPalを15億ドルで買収したのだ。マスク個人には約1億6千万ドルもの巨額の売却益が転がり込み、この時点で彼は財務的に「引退後も悠々自適」に暮らせる身となった。しかし彼は安穏と富豪生活を送ることを良しとしなかった。むしろ、この2度の起業成功で得た資金と自信をもって、さらにリスクの高い壮大な野望に打って出ることになる。

宇宙への挑戦:SpaceX創業とロケット開発

PayPal売却を果たした2002年、イーロン・マスクは誰もが予想しなかった領域への投資を宣言した。彼の次なるターゲットは「宇宙開発」である。幼少期からSFに憧れていたマスクは、火星や宇宙への関心を強めており、「人類を多惑星種族にする」という壮大なビジョンを抱いていた。彼は私財を投じてスペースX(SpaceX)を2002年5月に創業し、自らCEO兼主任技術者となってロケット開発に乗り出す。民間企業がロケット打ち上げに挑むのは当時前例が少なく、「PayPal長者の奇抜な道楽」と冷ややかに見る向きもあった。

しかしマスクの計画は真剣そのものだった。彼はロシアから中古の大陸間弾道ミサイルを購入して火星に宇宙船を送ろうと試みたが交渉が決裂したエピソードは有名だ。その帰りの飛行機の中で、彼は自力で安価なロケットを作る計画を立てたという。スペースX創業当初、社員たちは中古の機械をかき集めて独自のロケットエンジン開発に挑んだ。マスク自身、ロケット工学を一から独学し、技術的ディテールに深く関与した。初期の小型ロケット「ファルコン1」は試行錯誤の連続で、2006年から2008年にかけて最初の3回連続で打ち上げ失敗という憂き目に遭う。資金も底を突きかけ、「これ以上失敗したら会社は終わり」という瀬戸際まで追い込まれた。

転機が訪れたのは2008年9月のことだ。4度目の挑戦となったファルコン1ロケットの打ち上げがついに初の軌道到達に成功したのである。この吉報に沸いた直後、さらに朗報が舞い込む。アメリカ航空宇宙局(NASA)から国際宇宙ステーション補給ミッションの大型契約(16億ドル規模)をスペースXが勝ち取ったのだ。まさに「土壇場の逆転劇」で会社は救われ、以降スペースXは快進撃を続けることになる。

スペースXは中型大型ロケット「ファルコン9」や超大型の「ファルコンヘビー」を次々と開発し、商業衛星打ち上げビジネスで急成長した。特筆すべきはロケットの再利用技術である。従来使い捨てられていたロケット1段目を着陸させて回収・再利用するという斬新なアイデアをマスクは固執し、何度も爆発事故を重ねながらも2015年末に着陸成功を成し遂げた。この技術革新により打ち上げコストは劇的に削減され、宇宙産業に革命を起こしたと評価されている。また、スペースXは衛星インターネット網「スターリンク」を構築し、数千基の小型衛星を低軌道に展開する壮大な計画も進行中だ。

マスクの究極の夢は「火星移住」である。そのためにスペースXは直近では超大型宇宙船「スターシップ」の開発に全力を注いでいる。2023年4月にはスターシップ初の統合試験打ち上げを実施したが、残念ながら飛行中に爆発する結果となった。それでもマスクは失敗を糧に改良を続けており、近い将来の再挑戦に意欲を燃やしている。彼の信条は「失敗は選択肢の一つ。失敗が起きていないなら、それは十分に革新的なことに挑戦していない証拠だ」というものだ。この大胆な開発哲学の下、スペースXは民間企業として前人未踏の領域へ挑み続けている。

「もし何かが十分に重要であれば、たとえ見込みが薄くても、それをやる。」

イーロン・マスクはこう語り、成功の可能性が低くとも大義ある挑戦に踏み出す姿勢を示してきた。スペースXの挑戦はまさにその言葉通りであり、度重なる危機を乗り越え今や世界で最も評価される民間宇宙企業となった。

電気自動車革命:Teslaでの挑戦と躍進

宇宙開発と並行して、イーロン・マスクの名前を不動のものにしたのが電気自動車(EV)メーカー「テスラ」(Tesla, Inc.)での活躍である。テスラは2003年にマーティン・エバーハードらが創業した会社だが、2004年にシリーズA投資ラウンドでマスクが主要出資者として参加し、会長に就任したのが始まりだ。当初は「Tesla Motors」として電気スポーツカー開発を目指していたこのベンチャーに、マスクは約630万ドルを投じて大きな影響力を持つようになる。

テスラ初期の旗艦車種「ロードスター」の開発では、航続距離や加速性能でガソリン車に劣らぬ革新的EVを生み出すため奔走した。だが量産立ち上げは困難を極め、創業者エバーハードとの経営方針の対立も表面化する。結局エバーハードは2007年にCEOを退任し、紆余曲折を経て2008年にマスク自身がTeslaのCEOに就任した。ちょうど同年にはリーマン・ショックによる経済危機が押し寄せ、テスラも資金繰りが逼迫する。私財を投入して会社を支えたマスクは、「もう少しで個人破産するところだった」と語るほど窮地に追い込まれたが、最後の瞬間に外部投資と政府ローンを取り付けて倒産を回避した。

この劇的な生還の後、テスラは次第に軌道に乗り始める。2010年にはNASDAQ市場への株式上場(IPO)を果たし、民間自動車メーカーとしてはフォード以来となる上場企業となった。続いて開発された高級セダン「モデルS」(2012年発売)は、美しいデザインと圧倒的な性能でEVのイメージを刷新し、世界的な高評価を受ける。モデルSは米自動車誌の「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、テスラは単なるベンチャーから一躍業界のゲームチェンジャーへと躍り出た。

マスク率いるテスラは、その後もSUVタイプの「モデルX」(2015年)、普及価格帯セダンの「モデル3」(2017年)、コンパクトSUVの「モデルY」(2020年)とラインナップを拡充していく。特にモデル3の大量生産プロジェクトでは、生産ラインの自動化トラブルから「生産地獄」と呼ばれる苦境に陥ったが、マスクは工場の屋上にテント工場を増設するなど奇策で乗り切った。彼自ら工場に寝泊まりし、連日現場で指揮を執った逸話は有名である。その甲斐あって量産は軌道に乗り、テスラは世界中でEVブームを牽引する存在となった。

テスラの飛躍は自動車業界全体に大きなインパクトを与えた。各国の自動車メーカーが続々とEVシフトを表明し、テスラの先進的なソフトウェア(OTAアップデートによる機能向上)や自動運転技術「オートパイロット」の開発競争にも火が付いた。ただしその道程に賛辞ばかりがあったわけではない。テスラ車のオートパイロット使用中の事故が社会問題化し、当局からの調査や批判も受けている。また労働環境についても、長時間労働や労組との対立、工場内での差別問題などの論争が報じられた。

とはいえ、テスラの成長は驚異的で、2020年にはトヨタを抜いて一時世界一の時価総額を持つ自動車メーカーとなった。マスク個人もテスラ株の急騰により世界長者番付の首位に躍り出ている(その後株価変動で順位は変動)。マスクの「加速せよ、さもなくば淘汰される」という姿勢はテスラの企業文化に深く浸透しており、彼の卓越したビジョンとリスクテイクがEV革命を現実のものとしたと言える。

多角化する事業:SolarCity、Neuralink、そしてOpenAI

イーロン・マスクの関心領域は宇宙と自動車だけに留まらない。彼は人類や社会の未来に関わる幅広いプロジェクトを同時並行で手掛けてきた。2006年には従兄弟たちと共にソーラーシティ(SolarCity)社の立ち上げを支援した。これは住宅用太陽光発電システムの普及を目指す企業で、マスクは会長として再生可能エネルギー分野の拡大にも貢献した。後に2016年、テスラがソーラーシティを約26億ドルで買収・統合するが、これは身内企業救済ではないかとの批判も浴びた。

さらにマスクは脳とコンピュータを直結するテクノロジーにも挑戦している。2016年に共同設立したニューラリンク(Neuralink)は、脳内に極細の電極を埋め込んで人間の脳とAIを接続するブレインマシンインターフェース(BMI)の開発企業だ。将来的には脊髄損傷による麻痺の克服や、アルツハイマー病患者の機能回復、さらには人類がAIに知能で劣後しないための「認知拡張」を目指している。ニューラリンクはサルを使った実験で脳信号によりコンピュータを操作するデモを成功させており、2023年には米FDA(食品医薬品局)から初の人体実験の許可を得たと報じられた。ただし研究過程での動物実験の倫理性などに批判もあり、実用化へのハードルは依然高い。

マスクの好奇心は地下トンネルから人工知能まで尽きることがない。2016年末には渋滞解消のための地下トンネル掘削企業ボーリング・カンパニーを設立し、ロサンゼルスやラスベガスで実験的な高速地下交通システム(ハイパーループの簡易版)を手掛けている。また、2015年には非営利のAI研究機関OpenAIの創設に資金提供者兼共同議長として関与し、安全で有益なAIの開発を提唱した。しかし後に方向性の違いからOpenAIを離れ(2018年頃)、2023年には独自の新たなAI企業xAIを立ち上げるなど、AI分野でも独自路線を追求し始めている。

Twitter買収とメディアへの進出

電気自動車・宇宙・エネルギー・医療と多岐にわたるマスクの事業だが、2022年以降、世界が注目した彼の動きの一つがソーシャルメディアへの進出である。マスクは以前からTwitter(現X)上で影響力の大きい発信者だった。ときに型破りで物議を醸すツイートを連発し、SNS上での発言力を存分に行使してきた人物だ。その彼がTwitter自体を買収すると表明したのは2022年4月のことである。ツイッター社にとって史上最大級のサプライズであり、全世界のメディアがこのニュースを報じた。

マスクはTwitter上で「言論の自由」をしばしば擁護しており、プラットフォーム運営にも批判的なコメントをしていた。自ら提案した買収劇は曲折を経る。いったんは取締役会と440億ドル(約6兆円)で合意したものの、その後マスクがスパムアカウント問題を理由に契約撤回を示唆し、法廷闘争寸前にまで発展した。しかし最終的には同年10月、当初の約束通りの金額で買収を完了し、マスクがTwitter社のオーナー兼暫定CEOに就任した。

買収直後からマスクは劇薬とも言える改革に乗り出した。経営陣を解任し、社員の約半数を解雇する大リストラを断行。残った社員にも「長時間・高強度の勤務」を求め、「ハードコア」な働き方にコミットできない者は退社するよう迫った。これに反発し大量離職が起きたとも伝えられる。また、認証バッジ(青いチェックマーク)を有料化する新方針を急遽導入した結果、偽物アカウントが氾濫する騒ぎも発生した。広告収入の柱である大手企業がプラットフォームの先行きを懸念し広告出稿を停止する事態も起き、Twitterの収益は不安定化した。

マスクはそれでも強気の姿勢を崩さず、Twitterを自分の理想とする「何でもアプリ (X)」に変貌させる構想を語った。2023年7月にはついに社名をX Corpに変更し、サービス名も「X」へとリブランドした。この大胆な変更は賛否を呼んだが、マスクの頭の中ではPayPal時代から温めていた包括的金融・SNSサービス「X」の夢が再燃しているようだ。現在は元広告畑のリンダ・ヤッカリーノ氏をCEOに据え、マスク自身は製品開発に注力する形をとっている。しかし依然として彼の発信力と影響力は強大で、X上での日々の言動がニュースになる状況は続いている。

最新動向:CNN買収の噂と政界への影響

2024年から2025年にかけて、イーロン・マスクを取り巻く環境はさらに新たな局面を迎えた。まず、2024年米大統領選でのドナルド・トランプ候補の勝利である。これにより政権交代が起きると、シリコンバレーの異端児だったマスクがまさかの「政府要職」に就く展開が報じられた。トランプ新政権は官僚機構を大胆にスリム化するための「政府効率化局(仮称)」を新設し、マスクをそのリーダーに据えたというのである。実業界の改革派としてのマスクの手腕に期待し、連邦政府機構の肥大化にメスを入れるという前代未聞の試みだ。このポストは正式な閣僚職ではないものの、大統領直轄の特別顧問的な立場であり、マスクが連邦政府職員のレイオフやIT化推進など行政改革に乗り出す様子が伝えられている。

このように政界にも影響力を広げ始めたマスクだが、その一方でメディア分野でも波紋を広げる出来事があった。2024年末、インターネット上で「イーロン・マスクがCNNを30億ドルで買収することで合意した」とのニュースが駆け巡ったのだ。これは「真実一路」と称する怪しげなサイトが発信源の情報だったが、SNSで瞬く間に拡散され、一部には信じ込む人々も現れた。「メディアが偏向していると批判するマスクが、本当に大手ニュースネットワークを買収して改革に乗り出すのでは?」という憶測が飛び交ったのである。

結論から言えば、このCNN買収報道は完全なデマだった。CNN広報は即座に「売却や所有権変更の事実は全くない」と否定声明を出し、報道の出所が風刺サイトだったことも判明した。しかし一度拡散した噂は消えにくく、ネット上では「マスクならあり得る話だ」と真偽不問に騒ぐ声も少なくなかった。この出来事は、マスクがそれだけ世間を驚かせる行動を取ってきた人物であることの裏返しとも言える。

実際、マスク自身もメディアへの強い関心と不信感を公言している人物だ。彼は従来から主要メディア(いわゆるMSM=メインストリーム・メディア)に対し「偏向している」「真実を伝えていない」と批判的で、特に自身や自身の企業に否定的な報道に敏感である。Twitter買収後には一部のジャーナリストのアカウントを停止処分にしたり、BBCなど大手メディアのアカウントに「政府資金提供メディア」ラベルを表示するといった挑発的な行動も取った。こうしたマスクのメディア観からすると、「CNN買収」という荒唐無稽な噂にも現実味を感じてしまう人々がいたのも無理はないのかもしれない。

マスクは直接この噂を肯定も否定もしなかったが、2025年初頭のアメリカでは彼の存在感がビジネス界にとどまらず政治・社会全般に広がっている。トランプ政権下での政府改革への関与、SNSプラットフォームXの支配、そしてメディアへの影響力行使の懸念——マスクは21世紀における最も議論を呼ぶパワープレーヤーの一人となっている。

マスクの経営哲学とリーダーシップ

これほど多岐にわたる領域で成果を収め、同時に物議も醸すイーロン・マスクとは、いかなるリーダーなのだろうか。その経営手法やビジネス哲学には一貫した特徴が見られる。まず第一に挙げられるのは、彼のビジョンの壮大さである。マスクは常に人類規模の課題をテーマに掲げる。化石燃料依存の脱却、火星移住、脳とAIの融合、交通革命——いずれも誰もが口にできるものではない大胆不敵な将来像だ。彼は「世界を変える」ことを公言し、それを自身の使命と信じて疑わない。

第二に、そのビジョンを実行に移す行動力と集中力だ。マスクは週100時間を超える働き方を自ら実践し、複数企業のトップとして同時進行でプロジェクトを推し進める凄まじいエネルギーの持ち主だ。彼はしばしば「生産ラインに泊まり込んででも目標を達成する」姿勢を示し、部下にも極限までのコミットメントを求める。彼のリーダーシップスタイルは「マイクロマネジメント」を超えた「ナノマネジメント」とも称され、細部にまで口を出すことで知られる。エンジニアリングの技術議論からデザインのフォント選択に至るまで直接意見を述べるため、現場のプレッシャーは相当なものだと言われる。

第三の特徴はリスクを恐れない意思決定である。前述のようにマスクは成功確率が低くとも重要な挑戦ならば踏み切る。「一か八か」どころか「一か百か」に賭けるような大胆さで、資金も私生活も事業に投げ打ってきた。常識では無謀と思える目標も、彼はまず原理的に可能かどうか(ファースト・プリンシプル思考)を突き詰め、可能と信じれば周囲の懐疑に耳を貸さず突き進む。例えばロケットの着陸再利用など当初NASAですら懐疑的だったが、マスクは物理計算上できるはずだと信じ成功させた。

また、マスクのビジネス哲学として「顧客よりもミッションを優先する」点も挙げられる。従来の経営者が株主や顧客満足を重視するのに対し、彼は「より高尚な目的のために行動している」という自己認識が強い。ゆえに短期的な利益や評判に頓着せず、長期目線での正しさを貫こうとする傾向がある。これがしばしば周囲との衝突を生みもするが、同時に狂信的とも言える支持者を生む源にもなっている。

もちろん、その型破りなリーダーシップには批判や限界も指摘されている。マスクは率直すぎる物言いや厳しい態度から、多くの従業員がついていけず離反するケースもあった。Twitter買収後の急進的な改革では「従業員を使い捨てにしている」との非難も浴びた。また、常に自信満々な態度ゆえか公約の実現時期が遅れることも多々あり、テスラの完全自動運転やハイパーループ構想など「実現しないままの約束」も抱えている。さらに、彼の発言は市場や世論に絶大な影響力を持つがゆえに、些細な冗談が株価を乱高下させたり、誤情報が拡散されたりするリスクも孕んでいる。

評価と論争:光と影の両面

イーロン・マスクほど賛否のはっきり分かれる人物も珍しい。支持者たちは彼を「現代のトーマス・エジソン」「アイアンマン(トニー・スターク)のモデル」と称え、その革新的ビジョンと実行力を称賛する。実際、彼がいなければ電気自動車の普及も民間ロケットの時代もここまで早く訪れなかっただろうという評価は根強い。マスクは自らリスクを負って巨額の資金を未来産業に投じ、既得権益に挑戦し続けている点で資本主義社会における変革者の典型といえる。

一方で批判的な見方も根強い。批判者は、彼の言動がしばしば無責任自己中心的だと指摘する。例えば2018年にタイ洞窟で遭難した少年救出劇の際、現地のボランティアダイバーに腹を立て「ピー…野郎(小児性愛者)」とツイートし訴訟沙汰になった事件は、マスクの攻撃的な一面を象徴する出来事だった(結果的に訴訟では勝訴したが品位を問われた)。また同じく2018年には「テスラを1株あたり420ドルで非公開化する資金は確保済み」とツイートして株価を乱高下させ、証券取引委員会(SEC)から訴追される失態も犯した。結局、罰金と会長職退任という制裁を受け、以後Twitterでの発言には注意するよう監視下に置かれている。

マスクの社会的発言も物議を醸すことが多い。新型コロナ禍ではロックダウンに反対し「人々の自由を奪うな」と訴え、自治体の制止を無視してテスラ工場を再開した。さらにワクチンやマスク着用に懐疑的な言動を重ね、専門家から批判された。政治的には近年リベラル派メディアや民主党に批判的で、トランプ前大統領やフロリダ州のデサンティス知事など保守勢力に接近しているようにも見える。2022年には「これまで民主党を支持してきたが今後は共和党に投票する」と明言し物議を醸した。

また、マスクの影響力が肥大化することへの警戒感も広がっている。世界有数の富豪であり、宇宙・車・通信といったインフラ産業からSNSプラットフォーム、さらには政府プロジェクトにまで手を広げる姿に、一私人の力としては危険なほど強大だという指摘だ。例えばウクライナ紛争では、同国に提供したスターリンク衛星通信の利用を巡りマスクが独断で制限を検討したと報じられ、各国関係者を慌てさせたという話もある(戦争への関与に等しいため慎重に運用)。こうした点から「マスク帝国」とも呼ぶべき広範な影響力に対し、牽制すべきとの声がある。

それでもなお、イーロン・マスクが現代にもたらしたインパクトは計り知れない。彼は既成概念を打ち破り、業界をまたぎながらイノベーションを連鎖させてきた。そのカリスマ性ゆえに敵も味方も多いが、彼が描く壮大な未来像に胸を躍らせる人々もまた世界中に存在する。人類を火星に送り出す日が来るのか、完全自動運転の社会が実現するのか、彼の挑戦は続いている。批判も喝采も一身に浴びながら、イーロン・マスクという希代の起業家は今日もどこかの工場フロアや会議室で新たな難題に立ち向かっているに違いない。